女のため息

名古屋郊外在住 アラ還の平凡な主婦です。経験したことや、思ったことを 思い出しながら綴りたいと思います。

『伊勢湾台風』

台風が接近中だと言う。今日も、台風から、こんなに離れていると言うのに、ここ名古屋にも、急に豪雨があった。台風の影響と言う。




この台風の時期になると、必ずと言っていいほど、『伊勢湾台風』のことを母は言い出す。




昭和34年9月26日三重県紀伊半島潮岬に上陸し伊勢湾を通過した巨大台風である。



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その晩は、風が強く、雨戸が飛ばされないよう押さえ、下からの風も強く畳が浮き上がらないよう押さえ、何とか台風が行き過ぎるのを ひたすら両親は、堪えたと言う。




やっと、風も収まりヤレヤレと眠りに就こうとすると、『カンカンカンカン』と鐘が鳴り『水が出たぞー!!』と言う大声で、玄関に行く。すると、ジワジワと水が入り込んで来たと言う。





その水は、徐々に室内にも侵入しだし、床上何センチは、定かでないが、柱には腰あたりまで水が入った跡があった。その跡は、ずーっと消えなかった。




『水が出たぞー。』と言いながら、近所の蕎麦屋の叔父さんが、木舟に乗り住民を近くの学校に運んでくれたと言う。




私の子供の頃、近所の家に木舟が立て掛けられている光景が、見受けられた。我が家は、当時、名古屋南部の埋立地、俗に言う海抜ゼロメートル地に住んでいた。だから、木舟を持っている人が居たのであろうか?




胸まである水の中を母は私をおぶり、父は兄を抱き、その蕎麦屋の叔父さんの木舟に乗って、学校迄避難出来たようだ。




木舟に乗っている間中、赤ちゃんだった私は泣き続けたと言う。親もおり、淋しい訳ないのに、どんなにあやしても、泣き止まない。他の子は、泣いてないのに………。母は今でも、その事を何度も言う。




ちょっと話は逸れてしまったが………。




無事、学校の一室で一晩明かした。そして、被害のなかった祖母の家に1ヶ月程避難した。




水は、堤防が決壊した事によるもので、ひと月引かなかった。海抜ゼロメートル地ならではのことで、元の生活に戻るのには、時間が掛かったようである。



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去年の今頃、伊勢湾台風60年と題した特集をマスコミが取り上げていた。その際友人との会話の中で、知ったことである。友人は被害の大きかった地区に住んでおり、友人の父親が天井裏の板を叩き割りそこから、屋根に上り救助を待ったと言う。当時、2歳の友人は、うっすら覚えていると言う。




この『伊勢湾台風』は、多くの被害者を出し、明治以降最悪の死者、犠牲者は5098人。我が家は、まだ、そこまで被害がなかったので、不幸中の幸いだったのかもしれない。




今週末に、九州方面に上陸か近付くと言われる台風10号。『伊勢湾台風』級と言われております。台風が大きく西日本全体にも影響がおよび、多くの被害が、予想されるそうです。該当される地域の方、早目の対策で、厳重な警戒を・・・・。