終戦から75年が過ぎ、戦争を体験した人が少なくなりました。ここからの話は、93歳の母が戦時中に体験した話です。
B29が集団で、ゆっくりと帰って行く光景を防空壕から外に出て近所の人と見上げていたところ、最後の一機が焼夷弾を落として行ったそうです。
その焼夷弾の行方を追うと、何と自宅の屋根を突き抜けました。驚いて家に向かうと、居間の仏壇に焼夷弾が落ちていたそうです。焼夷弾からは、煙が出ていて、慌てて座布団で包んで外に出し、近所の男性に渡して処分してもらったと言います。
当時は、若い男性は皆戦争に取られ、居るのはそれこそ、女・子供、それと、年配の男性のみ。
焼夷弾は、不発弾で事なきを得たのですが、小ぶりの水筒位の大きさで、油でベタベタだったと言います。
その仏壇は、数年前迄、母の実家に有りました。少しの焼け焦げた跡を残して………。
召集令状に従わなかった人が近所に居たそうですが………。
その若い男性は、憲兵に銃殺され、その遺体がその玄関に晒されていたそうです。
若かりし日の母も、見に行ったと言います。良くドラマで見聞きすることですが、銃殺し晒し首みたいにするとは………。現実に身近にあったことに驚愕です。そのような光景は、他にもあったと聞きます。
また、B29が墜ちたからと聞き、それを見に行ったと言います。そこには、外人の女性も乗っていたらしく一緒に墜ちたので、もう亡くなられていたのでしょう。
周りの日本人は、皆その女性や他の亡くなられていた人に向かって、石を投げていたと言います。
なんとも言えない光景だったでしょう。
映画やテレビドラマの1シーンではなく、確実に75〜6年前の日本の内地で、普通の庶民が体験した事実です。
重く、重く受け止めなくてはならない事実です。