女のため息

名古屋郊外在住 アラ還の平凡な主婦です。経験したことや、思ったことを 思い出しながら綴りたいと思います。

お父ちゃんごめんね!お母ちゃんの誕生祝いとお父ちゃんの退院祝いを一緒にやろうと思ったんだもん❗

「会いたい人」と言われても、一杯いて特定できないでいます。でも、やっぱり 50年前に43歳で亡くなった父親かな?


父は 私が小学5年の時、あっという間に亡くなった。どうも、胆石の手術が失敗したらしい。
早期発見できて良かったね!と言っていたのに………。


手術が決まり、母が父の看護に病院に泊まり込むことになり、祖母が我が家に来てくれることになった。我が家には 祖母と高1の兄と小2の妹と小5の私の4人で暮らすことに…。


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手術も成功し あと1週間位で退院できるだろうと皆も思っていたのだが………。なんか流れが変わってしまい 、長引きそうになった。


そんな時、父のお見舞いに行き
「ゆーこちゃん、今度 お母ちゃんの誕生日だろ。これで ケーキでも買って お祝いしてね」
と父が言い、私に お金を渡した。


「うん、分かった」と、お金を受け取った。


その母の誕生日に、突然 病院から母が家に帰ってきた。


「どうしたの?」と私達。
「お父ちゃんが、なんか知らんけど家へ帰ってって!」と母。
母に、休ませてあげるつもりなんだなぁと皆思っていた。久しぶりに、母も入れてご飯を食べ、母は病院へ戻った。


それから、5日程で 父は死んでしまった。
死目には 会えなかったが、『危篤』の知らせを聞き駆け付けた病室で見た光景は、父は胸に両手を組み その横で母は 『お経』を唱えていた。その光景はそこだけ光が当たったようで輝いて見えた。


私達が着くと母は「お父ちゃん 死んじゃったよ!死んじゃったよ!」と 泣きついてきた。兄は 壁を叩いて泣いていた。母は妹を抱きしめていた。私は、一緒にいた叔母に抱きしめられていた。ここは、泣くとこかなと思いながら、泣こうと努めた。涙の出し方がわからない。私はなんて冷たい人間なんだろうと、子供ながらに思っていた。


それから、通夜 告別式と忙しく時が過ぎ、一段落した後、母がぽろっと「誕生日のお祝いしてくれただろ?」って父が言っていたと言う。「ううん」と否定すると「そうか」と父は呟いたそうだ。


あの日、父は 私が母の誕生日にケーキを買ってお祝いしてくれると信じ母を帰したのだった。


それを聞き、私は愕然とした。
「だって、お父ちゃん すぐ退院するから、お母ちゃんの誕生日と お父ちゃんの退院祝いを一緒にやろうと思ったんだもん❗」


だって、だってー、すぐ元気に帰って来ると思ってたんだもん❗




今も、その事が 心に引っ掛かっています。
会って 「ごめんね、お父ちゃん」と謝りたいと思っています。